そのつながりで本日は、「徳丸ケ原」にやってきました。
高島秋帆は、外敵や災害などから港を守る仕事をしていました。
日本の軍事力の低さに危機感を持っていたようで、
西洋砲術を熱心に研究、高島流の砲術書を完成するに至る。
時は江戸末期。
鎖国下にありながらも外国の恐怖に晒されていた時期、
どう日本を守るか、相当の危機感で取り組んでいたのだろう。
まさに国防。
そして幕府の命令により、この地で
日本初の西洋式砲術調練が高島秋帆の指揮の下行われたのです。
公園内に碑があるものの、
当時を知る手掛かりはなく、
ただ、高島平という地名が高島秋帆にちなんでつけられたものである
ということは有名なお話です。
現場からは以上です。