本日の歴史ポリスマンは、東大和市にある村山貯水池(通称:多摩湖)へ。
「東京都の貴重な水源」で、周辺は豊かな自然に囲まれており、
19時20分現着時はとても涼しく、山の避暑地に来ているかのようでした。
10分ほどの花火でしたが、少し気持ちも晴れました。
この村山貯水池は1927年(昭和2年)に完成。当時、東京市の人口の増加に対応した水資源の確保が課題だったため新設された背景がある。
しかし1929年の世界恐慌以降、日本は国際協調から離れて軍国主義化に舵を切る。
これが大きな日本史の流れである。すべてがその流れに飲まれていく。
1937年(昭和12年)には「防空擬装が始まる」と、沿革に書いてあります。
1941年(昭和16年)太平洋戦争突入、
この貯水池にも高射砲などの軍事施設が設置されていく。
1943年(昭和18年)から1944年(昭和19年)にかけ、耐弾層を設け堤体を強化。
そして、この痕跡が残っているのである。
「親柱」の説明板には、
「太平洋戦争時に爆弾から堤体を保護するための耐弾層に、下から半分ほどが埋まり露出部はカモフラージュのためコールタールで黒く塗ってありました。」と。
当時、ここを死守すべく動員された人々がいた。
その上に今があることを改めて実感します。
現場からは以上です。